スターバックスのミニカード
スターバックスで9/1から、ミニタイプのスターバックス カードを発売開始した。穴があいているので、カバンにぶら下げたり、キーホルダーにしたりといろいろと楽しめそう。メイル会員にも登録した。
9/11(土)発売のエル・ガール10月号にはエル・ガール限定 ピンクのミニ スターバックス カードが付いてくるから、こちらもチェックしよう。最近の雑誌は、すてきなおまけが付いていて、侮れない。
毎日の生活で、ちょっと楽しいことに出会うと、しあわせを感じる。九月らしいスタートだ。
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毎日の生活で、ちょっと楽しいことに出会うと、しあわせを感じる。九月らしいスタートだ。
清元延寿太夫と清元梅吉、清元高輪派と梅派の最高峰の名が88年ぶりに競演という、すばらしい舞台を見てきた。知合いの日本橋芳町の芸者さんからの情報で、チケットを早めに確保することができた。あの国立劇場の大劇場を満席にするほどの、見せ物である。
仁左衛門さんが「お祭り」の鳶役で駆けつけたので、京都から芸妓衆もたくさん来ていて、会場はきれいな女性が目立つ。粋と、上品なふたりにぴったりの舞台。
隅田川は能楽仕立てで、45分間たっぷり。本来はちんまりと楽しむ芸能なのだろうが、大劇場でも迫力が伝わってくる。伝統芸能というのは、自分の中にある日本人のDNAを刺激するのだ。
開演前、少し時間があったので、伝統芸能館で、歌舞伎のさわりの映像を見ていた。菊五郎がまだ初々しく、揚巻や三千歳役を演じている。直次郎は先代の勘三郎。もっとゆっくりと見たいと思う。
結婚式を簡単に行なう、あるいは、パスする若者が増えているから、親戚一同が集まる機会は、法事のほうが多いのかもしれない。
部屋を片付けて、大掃除して、親戚を迎え入れる。子どもの頃は毎年、休みのたびに集まっていた従姉妹、従兄弟たちも、それぞれの家族を持つようになり、疎遠になってしまった。改めて数えてみると、十余年ぶりだったりする。おたがいはすぐに分かるのだが、子どもたちの成長ぶりには付いて行けない。
親戚というのは、血族の縁が薄くなってきている今、存在価値が希薄だ。つき合うことのできる相手は幸せである。高齢者の不在、不明が問題になっているが、法事、墓参りなどは情報交換の大切な機会だ。親の不在にも無関心でいる子どもたちは、お墓参りもしていないのだろう。
集まって食事して、近況報告するだけなのに、緩やかな繋がりがいい。
父方の実家がお寺なので、子どもの頃から、お彼岸、お盆は、家族総出でお墓参りと決まっていた。自家用車がなかった時代は、母親の実家に泊まって、叔父に送ってもらって参加するのである。そして、今、祖父母、そして何人かの叔父叔母は、あちら側に行き、残ったものが回るお寺は年々増えている。うちの担当は、お寺が4か所、公園墓地が2か所の計6か所。
朝、6時に家を出て、お墓の掃除、草むしりも含めて5時間余り。ゆっくりしていると渋滞に巻き込まれて、昼過ぎに戻ることになる。毎回、律儀にお墓参りをしているので、全部回った後の開放感がすばらしい。富士登山くらいの達成感がある。
今回は早朝訪れた二か所の本堂でお経をあげていた。お寺の朝、静かな中で読経が聞こえると、大変ありがたく感ずる。


清少納言の枕草子でも、御読経する僧侶についての記述がいくつかあるが、早朝、重々しく読経する美男の僧侶というのは、得難く、そして絵になったと思う。聴いているだけでもありがたいのに、それが美男だったら、何倍もご利益がありそうだ。
今日、津田沼のスタバで、小学校時代からの親友とガールズトークをする。二人とも離れたところに住んでいるので、彼女が実家に帰った時期を利用して待ち合わせた。話していると学生時代に戻るから不思議。もうかなり大人なのに、それを忘れて夢っぽい話を真剣にしていた。
日常の中に埋もれていては、輝くことができないから、自分から非日常を創り出す必要がある。今流行のロクシタンの石けんやシャンプー、ルピシアの紅茶などはそのいい例だろう。ちょっとした贅沢、ちょっとオシャレな設定が、心を和ませ、明日への元気の源となる。
シルクとカシミアが大好きで、それを身に付けているだけで、幸せになれるというのも同じ原理だ。働く女性が忙しいのに、ネイルサロンで、高額なケアをしてもらうのも同じ。そういう企業は、この不況でも収益をあげている。当たり前の、普通のというのは、お金を出して、わざわざ手に入れたくない。
このガールズトークだって、スターバックスだから楽しいのだ。100円のアイスクリームを食べるより、サーティワンで340円のコーンを食べる方がずっと楽しい。そういう価値観で生きているような気がする。あまりに大衆化されて、だれでも持っているものは欲しくない。安いから買うのではなく、欲しかったものが安くなったから、買うのだ。今年はセールになったからと、カゴバッグを大人買いしてしまった。持っているだけでリゾート気分が味わえるのはすてきだ。
毎年思うのだが、お盆が近づくと都心は静かになり、空も澄んでくるような気がする。今年は台風が少ないが、いまは、日本海側を進み、東北地方に抜けるらしい。佐渡も通過するので、被害が少ないことを祈っている。
今日は久しぶりに夕方、空を眺めてみた。雲がおもしろい形をしている。そういうことに気を取られたのも、どこか休日気分だからだろう。

空と雲を眺めていると飽きない。夕暮れ前のこの時間が好き。
猛暑だからと、引き蘢りの生活を止めて、今週は積極的に外出している。精力的にとでもいうべきか。昔から暑さは苦手なのだが、それ以上に楽しいことを企画して、出かけている。
日曜日は、谷中まで円朝まつりに参加し、千駄木から根津まで歩いた。本日は、銀座、新代田とこちらも魅力的な会合をセッティングしてみる。
目的があれば人生が楽しいように、夏の日の外出もそれなりに楽しい。もちろん、水分補給をしっかりして、疲れたら休むのを忘れないこと。東京の町で歩いて一番楽しいのは、やはり銀座だ。今日も四丁目から八丁目まで歩いたが、新しいショップや、レストランや、わくわくする気持ちになれる。
帰りの電車はまだ、ラッシュ前なのでゆっくりと座って本を読む。そして、気づいていると眠っているのだ。雨にも当たらず、幸運な一日だった。
生きていれば、何でも最初ということがあるわけで、同じことの繰り返しの日常生活にも、ときめきや驚きはあるはず。この場合は、そういうことではなくて、いわば処女航海のような大掛かりな始まりに、一歩足を踏み出すことをいう。
明日は昔からの知合いと、ネットの向こうの知合いに会うことになっている。二人とも、たぶんインターネットがなかったら、出会えなかった人たち。そして、初めての挑戦、あるいは、普通はしない大胆さがなかったら、そのまますれ違うことなく終わっている。
わくわくすることに挑戦しながら、ときには小さな失敗もして、それでも止められないのは、それが生きる楽しみだから。大人になって、自由度が増したように思うのは、責任を取れるだけの立場になったからかもしれない。
10代で最初にヨーロッパに出かけたとき、自由時間に町に出て、モノを尋ね、買い物をし、景色を眺めて帰ってきた。ベルリンヒルトンに泊まったとき、近くにある動物園にひとりで出かけたのだが、檻の向こうにいる動物たちが異国の女の子を珍しそうに眺めているのに気づいていた。あの頃、ベルリンの動物園に出かける東洋の女の子は稀だったのだろう。
それに較べて、今は何をしているのか。初めてのことに挑戦するしなやかさを持ち続けているのだろうか、と自問してみる。
たぶん一人だったら、念入りに洋服のコーディネイトを考えない。たぶん家で過ごす休日なら、好きなだけ起きていて、朝もたっぷり眠るだろう。
それが誰かと約束したり、食事をたべたり、ショッピングにつき合ったりと、自分ではない、他者が介在すると、物事が変わってくる。締切がなければ、仕事に取りかかれないように、向こうで待っている誰かがいると、元気が出てくる。
いちばん心地よいのは、誰かのために何かしてあげること。それで相手に喜ばれたら最高だ。次に心地よいことは、相手に甘えること。甘えることを許してくれる懐の大きい友だちがありがたい。
猛暑でも寒冷でも、そんなことは気にならない。人がいて、その人のために生きることで、こちらも生かされているのだ。日常の中にある、ぴりっとした非日常。それがあるから、平凡な日々もありがたいと思える。若い時は、他者に甘えることなど、存外だったから、いつも空虚で退屈だった。未熟な自分とだけつき合っていたのだから当然といえば当然。書物を何千冊読んでも、真実のことはわからない。いろいろなひとがいるのだと、気づくと、相手に感謝の気持ちが生まれる。
詳しくは書けないが、今年の夏は、異常な暑さも含めて、わたしにとって特別な夏になりそうだ。たぶん一生で、そうなんども経験できないような、そんな出来事が続いて起きている。
そんな中で、今年はお買い物運があるのか、信じられないようなお値段で、ほしかったものを手に入れている。品物には消耗品と、貴重品があって、何年も大切に使うもの、二三年で捨てるものに分けられる。宝石などは貴重品だが、それでも流行を意識したものは、リメイクが必要になってくる。着物は三代くらい伝えられるから、これも貴重品なのだろう。
昔は洋服でも、上質なものを選んで、何年も大切に着るのがよしとされた。だが、今は違う。どんな服でもそのときのトレンドの影響を受けているから、二三年が限度。袖の形、スカート丈、ジャケットの肩パッド、毎年、少しづつ変わって行く。定番といわれたカシミアのカーディガンだって、日本では虫が食うし、袖口は汚れてくる。汚れを気にして、すべて黒というのも、色気のない話だ。
これだけ季節事にセールがあるのだから、お手頃な価格で買ったものを身につけて、二三年をめどに消耗しよう。日々、お気に入りブランドを身につけて暮らすのも楽しい。
今年のバッグ運。ほしかったVERSUSの黒いバッグが手に入った。仕事用のパソコンとA4サイズの資料を入れて、まだたっぷりある大きさ。まだまだ、幸運は続くらしい。万事塞翁が馬とは、うまく言った言葉だ。すべてのことは、よい面も悪い面もあって、そう絶望しなくても、次の幸運を待つ楽しみがある。
何もかも、計画通り、無理無駄のない人はきちんとして、清々しいが、それだけでは物足りなく思う。無駄なことをいっぱやって、無理もして、ときに倒れても、好きなことができる人生のほうが楽しそう。計画的に進まないことに苛々するよりは、ハプニングを楽しもう。
子育てもそうだが、猫育もそれに似ている。うちの二匹の猫ども、美味しい魚に見向きもしなかったり、カリカリを残したりする。この暑さでは参っているらしく、冷房の効いた部屋からでない。
猫ですら予想とはちがう生き方をしているのだから、人間の回り道なんて可愛いものだ。いくつになっても、やり直すことができる。自分の人生は自分から選んだり、創造したりできるのだ。たぶん、たくさんの時間やお金を使って、なんのことはない、当たり前の真実に行き着く。人の一生は最期のときで決まるのだろうか。
塩野七生さんを初めて知ったのは、資生堂の「花椿」である。1970年に高校生だったわたしは、たまたま手に取った冊子の連載を読んで、なんて知的な人だろうと思った。そのときは、七生さんが男だと思っていたくらい。力強い若さに溢れていた。
その後、彼女は売れっ子になり、つぎつぎと大作を発表して行く。『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』は読んだが、その後は図書館で借りて読むくらいの頼りない読者だった。『男たちへ』のようなエッセイに彼女の才はますます冴えるように思っていた。
そして、月日は流れ、2010年7月のある日、祖師ケ谷大蔵のCD、ビデオショップの店頭で、『イタリア遺聞』の文庫本が100円セールで売られているのを発見。某所で発見した姫君を助けるように買い求めてくる。そして、本日、たまたま同じ店に立ち寄ると、今度は『愛の年代記』文庫版が、同じく100円のコーナーにいた。そこで、それも救出すると、レジの若者がこともなげにいう。本日、中古本は20%セールですから、80円いただきます。
この二冊、どちらも新品同様だった。持ち主はいつか読もうと買っておいて、何かの事情で手放したのか。それにしても、コーヒー一杯以下で、塩野さんの文庫本が手に入る時代なのだ。若者たちが本を読まなくなっただけでなく、中高年もまた、読むことを止めたのだろうか。
瀬戸内寂聴さんと、塩野七生さんの対談もまた、面白い。
もう5年以上人形町に通っていて、馬喰町が乗換駅だというのに、孝富を知らなかった。シモジマ、サカゼンまでは出かけていたのに、本当に知らなかったのだ。
月曜日の古文書講座の後、少し時間があったので、和菓子に使う懐紙を買いに、横山町まで出かけた。一年前に見つけた紙問屋は、だいたいの場所はわかるのだが、少し迷ってからたどり着く。
その後、いつもは渡らない横断歩道を渡ると孝富日本橋本店があった。ここは有名な服地屋さんで、母の年代の人はみな知っている。千葉からわざわざ服地を買い付けに出かけていたらしい。最上級の高級服地は買えなかったが、手頃なものをセールで買って、会員にもなってしまった。勢いで、手縫いで作る洋服の本まで頼んだ。
世の中は洋服のセール一色なのだが、そんな中で、手縫いでワンピースを作ろうという試みは、なかなか趣がある。これだけ、すてきな生地を見ると、何か作りたくなるから不思議だ。食材が揃っていれば、料理したくなるのに似ている。
というわけで、今月末の夏期休暇にはワンピースを作るつもり。今から、どんなデザインにしようかと、わくわくしている。
一年の折り返し地点。暑さはだんだん勝ってくる、夕暮れは少しづつ早くなる。夏のような、秋のような七月朔日。いい意味で、今日をターニングポイントとし、一年の計画の進捗状況を確認したらどうか。
走る過ぎると前しか見えない。回りの景色を楽しむには、やはり立ち止まることも大切。立ち止まったとき、運命の人や、運命のモノに出会ったりする。いつも車でしか通ったことのない道を、歩いてみると、いろいろと発見がある。生活を楽しみながら、仕事も楽しくやって行きたいと思っている。主宰者の楽しい気持ちは、お客様にも必ず伝わる。人は楽しいこと、面白いこと、わくわくするところに、集まるものだ。
個人生活でも、友人たちに助けられていることが多く、感謝の日々である。
こんな時代に江戸の古文書を読むなんて、優雅なことだといわれた。正確には江戸から明治にかけての文書なのだが、そこには人間のドラマが隠されている。
あの日本経済新聞ですら、欲望のドラマだとおっしゃった方がいたが、明治二年の御用留めにも、それは当てはまる。明治政府が政権を樹立して、まず第一に困ったのは、財源がなかったこと。そこで、太政官札(だじょうかんさつ)という政府紙幣を発行する。
単位は、江戸時代と同じ両。ただ政府に対する信用がなかったので、庶民はこれを使いたがらず、従来の金銀を交換していた。そこで明治二年に覚として、新しい紙幣を使うようにという通達が出ている。本日読んだ、御用留めにもこの話が載っていた。
歴史を再確認するだけでなく、そこに暮らす人々の息遣いまで感じ取ることができたら、それはタイムマシンの旅と同じだ。くずし字の中に、そんな一こまが隠されている。
読めない字も、知らない言葉も多いが、そこは人数が集まれば、やがて解読できる。こちらのパズルを解くような楽しみは、PK戦でゴールを決めるくらいのうれしさがある。
六月の最後の日曜日、午前中は、歩いて15分ほどの千葉市美術館に伊藤若冲展を見に行く。
本日最終日ということで、混雑していていたが、見たい絵の前ではゆっくりと鑑賞できてよかった。会場が広いので、屏風やふすま絵も、全体を見通すことができる。これほど大規模な展示は40年ぶりということで、初期から晩年にかけてまで、作風の変化も楽しめた。
午後、今度は歩いて5分の県立文化会館に向かう。こちらで年に一回開かれる、若い芽のαコンサートを見るため、早めにでかけたが、もう会場には大勢の人が入っていた。
指揮/大井剛史
独奏 ギター/岡本拓也
フルート/沼田絵恋
ヴァイオリン/青木尚佳
管弦楽/ ニューフィルハーモニー オーケストラ千葉
お問合せ 財団法人千葉県文化振興財団
TEL 043-222-0077
演奏曲目
シューベルト/イタリア風序曲 第1番 ニ長調 D.590
尾高尚忠/フルート協奏曲 op.30b
メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64
午前午後とアートに浸る珍しい一日だった。心地よい疲労と、魂の充足感を感じながら、こういう忙しさも、すてきなことだとしみじみ思った。
梅雨の一日、久しぶりの雨。風も激しく吹いていたが、夕方、日が射してきたので、千葉城に出かける。
ここのお城には毎週、古文書整理のお手伝いに通っているが、ちょうど紫陽花が見頃なのだ。
鎌倉まで行かなくても、徒歩5分の場所に紫陽花の名所がある。本日は隣の県立文化会館でもコンサートがあり、大勢の方がいらしていたが、ここの千葉城まで来る風流人はいなかった。
この公園、手入れが行き届いていて、初春の梅から始まって、桜、紫陽花と季節の花が楽しめる。公園の中だから、入場無料。
雨上がりのしっとりとした紫陽花はすてきだった。
『近世畸人伝』を読む夜間の古文書講座。毎回、新しい発見がある。本日は、苗村介洞の妻の話。この妻は後妻なのだが、和歌などの教養を兼ね備えていた人。
題知らず
同じ枝を いかに時雨のふりわけて 青葉が中に紅葉しぬらん
時雨は冬の季語。冬は陰暦では10月から始まる。今の十一月半ば。
紅葉はもみじと読む、和歌の言葉はすべて訓読み、大和言葉を使うのがルール。
八十六歳の辞世の句
海女小舟 八十の湊を漕ぎ過ぎて 彼岸近くになるぞ うれしき
八十もヤソと読む。
140文字のツイッターは、ワールドカップの声援を送るに、手頃な長さだ。無駄なことは書かなくても、実況が伝わればいい。4年前のドイツ大会のときは、なかったのだから、考えてみれば不思議な話だ。
日本中の家庭がサッカーを見ていて、声援が聞こえた日韓共同大会から、8年になる。あのときは、昼間の試合なのに、高校の進路指導の三者面接と重なって、一試合、見逃してしまった。ベトナムのフエでは、従業員たちがテレビに釘付けで、料理がなかなか出てこなかった。
ドイツ大会のときは、試合経過をどうしていたのだろう。4年前のことなのに記憶は朧げである。初戦は薄氷を踏むような思いで、それでも勝利は勝利である。第二試合に、夢や希望を繋ぐ人も多いだろう。
4年に一度の大会のために、予選があったり、交流試合があったりして、人は夢中になれるものに飛びつく。夢中で過ごせる数時間があれば、あとは、多少眠くても仕事をすればよい。
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